田中穂積は、現在の山口県岩国市の出身
1889年に佐世保海兵団の第3代軍楽長に着任する。
田中は、佐世保女学校の音楽の嘱託教師を務めるようになり、女学生たち が愛唱するための歌を作ることを考えるようになる。そして、烏帽子岳や弓張岳から望む九十九島の風景をこよなく愛していた田中は、1900年に発表 されていた武島の詩を目にして、これに九十九島の風景に重ね合わせ、1902年に「美しき天然」を作曲したといわれている。
田中の曲は女学生の間で愛唱されるようになっていったが、1904年の大晦日に49歳で病死。
その死後に譜面が出版され、「美しき天然」は全国に広がっていく。