国境の町 アランヤプラテート

首都バンコクから西へ2時間半のドライブでタイとカンボジアの国境の町アランヤプラテートに到着。旅行者にとってはタイから陸路でアンコールワットに向かう玄関口として有名だが、カンボジア側にあるカジノというよりは賭博場といった雰囲気の公認ギャンブル場として多くのタイ人が訪れる場所でもある。

ここはポルポト時代(1975年~1979年)のカンボジア難民のタイへの通過点であった場所でもあり、クメールルージュの大虐殺(1970年代後半)から逃れてきたカンボジア人の難民キャンプから始まった町は、今では世界中から集まってくる中古衣料や中国から陸路で入ってくる安価な生活雑貨の集積地として東南アジア最大の国境市場となっている。

早朝からトラックやバスが列をなす国境ゲートを、通行許可証を片手に、その日の仕事を求め、タイ側にある市場にカンボジア人がやってくる。彼らの主な仕事は、店のお手伝いや荷物の運搬などの肉体労働である。また日本ではほとんど見かけなくなった大八車を引きながら国境を越え、市場の中で待機して仕事をまっている者もいる。

中古の材木を寄せ集めて作った、手作り感あふれる大八車(チャーリーと呼ばれている)は、この巨大なマーケットで、荷物の移動に欠かせない存在であり、カンボジア側の国境の町(ポイペット)の人が手っ取り早く現金収入を得るための手段である。10年前に最初の訪れた時にくらべ、マーケットは大きくなっても、彼らの収入の方法はさして変化がない。いまだに現役で活躍する大八車をみると、東南アジアに押し寄せる近代化も、1部の地域、1部の人間に限られたことだと実感させられる。

35年程前に起こった悲惨な民族浄化、近年の急激な経済発展、時代の流れに翻弄されながらも、大きな変化もなく懸命に生きるこの市場の人々と接するにつけ、働くこと、食べること、そして子供を生み、育てる事といった、人間本来のシンプルな生き方を感じさせられる。

数年前、大八車をひいている中年の男性に「日本は仕事いっぱいあるんだろ。オレを日本に連れて行ってくれ」と、声をかけられたことがあったが、あのおじさんはまだ大八車引いているのだろうか。