テクニカルダイバー加藤大典のマーシャル諸島 ビキニ環礁 沈船探検記 Vol.1

こんにちは。テクニカルダイバーの加藤大典です。

 

ビキニ環礁 聞いたことありますか?

マップでいうとこちら

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB/@11.7787641,99.2323493,3z/data=!4m5!3m4!1s0x644c2180a24fadbf:0x4c3f21ce9753a027!8m2!3d11.6065142!4d165.3768099

太平洋のど真ん中にある南の島です。水着のビキニから名前が付いたのではなく、この場所からデザイナーさんが新作水着の名称としてビキニと名付けられていたりもしているんです。

 

アメリカが第二次世界大戦後に行った原爆実験の場所でその実験で軍艦などがいくつも沈んでいるところ。

放射能などネガティブな印象を受ける場所ですが、沈船を探検し歴史を感じることができるテクニカルダイバー憧れの地でもある。

クワジェリンよりチャーター船で2週間泊まり込み、ほとんど水深50mクラス。

テクニカルダイバーの中でも日程的にも予算的にもここにたどり着くにはハードルがなかなか高いのです。

 

 

戦艦長門・・10年ほど前、『イソロクデッキ』という言葉を聞いた。

話してくれたのはTDI JAPANトレーニング部長でもある田原浩一さん。
フロリダのケーブトレーニングでご一緒してから尊敬するテクニカルダイバーの一人だ。

『加藤さん、そろそろイソロクデッキも崩れていけなくなるよ。いけるなら早く行ったほうがいい。』

 

その話を聞いてからずっと憧れていたレックスポットだ。

太平洋戦争開戦時、連合艦隊司令長官 山本五十六が、旗艦として長門から指令を出していたとされる。
長門は太平洋戦争前から活躍し終戦まで生き残った唯一の戦艦。
そんな戦艦が敗戦しアメリカに接収され、ビキニ環礁で行われた原爆実験の結果、最終的には沈没した船だ。

私が生まれる前の日本の歴史に触れるそんな旅となる。

 

水中写真家の戸村さんからのお誘いで、『戦艦長門プロジェクト』が、なかなかハイリスクな環境なので、手伝ってほしいということで私も仲間入り。このプロジェクトには僕も含めて7名の日本人テクニカルダイバーが参加。

 

 

現地はダイビング器材のバックアップもないので、完全にダイビング器材をリストアップして予備器材まで完璧にしていかないと二週間の探検が台無しになってしまう。

かなり絞り込んだが、大量の荷物に。

僕の荷物だけでも総重量80㎏

 

 

7名で25ケース以上!?

 

 

今回は18日間という長い日程。日本を出発してグアムまで3時間。そこからアイランドホッパーといわれる飛行機でチューク、ポナペ、コスラエを経由して、米軍基地のあるクワジェリンへ。ここまでで、日本から50時間。ここからクルーズ船まで、米軍関係者に送迎してもらい、民間人の暮らすエバイ島へ。ここでクルーズ船に乗り換え港で一泊。

 

翌朝、この島の近くに沈むドイツの重巡洋艦プリンツオイゲンに潜る。この沈船は第二次世界大戦を駆け抜け生き残った艦で終戦後アメリカに接収され、ビキニ環礁の二度の原爆実験でも沈まず、調査のためクワジェリン環礁に輸送中に水没がはじまり浅瀬に座礁させたもので、スクリューは水面にでており最大水深は40m。ビキニ環礁に遠征前のよい予行演習となる。2ダイブを終え、夕方ビキニ環礁までさらに28時間のクルーズ。

 

さらに翌日ついにビキニ環礁到着!!  ここまで日本から78時間 プリンツオイゲンで潜った時間を差し引いてもかなりの時間かかりました。小笠原までの時間が短く感じます。

ここから10日間、戦艦長門を中心としたレックダイビングプロジェクトが始まる。

 

Vol.2へ続く。

 

 

[お知らせ]

2018年6月15日(金)〜9月30日(日)、水中写真家、戸村裕行さんの水中写真展「群青の追憶」が靖国神社 遊就館内にて開催されています。ライフワークとして、これまで世界の海底に眠る日本の船や航空機、潜水艦など、大東亜戦争の戦争遺産を撮影してきた戸村さんの作品がこの写真展で、沈船を中心とした、約50点の作品が展示されています。今回のプロジェクトで戸村さんが撮影された長門や酒匂の写真も8月中旬ぐらいまでには追加展示されます。ぜひぜひ足をお運びください。