東海林 太郎 @秋田市立中央図書館明徳館

東海林 太郎(しょうじ たろう、1898年(明治31年)@秋田市立中央図書館明徳館

日本の歌手。
ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌うという特徴があった。

秋田中学時代にヴァイオリンに魅せられ、満州にいる父に懇願するが逆鱗にふれ断念。
秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)を卒業。
東京に上京し国民英学校に学び、早稲田大学商学部予科に入学する。

結婚、満州鉄道へ就職と、エリートな人生を歩むが、音楽への道を捨てきれずして、退社・帰国。
昭和8年(1933)時事新報社主催の音楽コンクール・声楽部門で入賞
昭和9年(1934)2月《赤城の子守唄》が空前のヒットとなり、東海林太郎が1躍スターダムにのしあがる。つづいて、12月新譜の《国境の町》がヒット。

大正デモクラシーから昭和という激動のうねりのなかで、 彼は、学問―頭脳エリート―クラシックへの志向―大衆歌手という人生の転向を遂げているのである。

※銅像前には代表曲が流れるセンサーマイクがあるが、冬の間は雪対策なのか覆われて聴けなかった。

 

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