宣教師 ミス・ハリソンとハツ @秋田市立中央図書館明徳館

宣教師 ミス・ハリソンとハツ@秋田市立中央図書館明徳館
「秋田の赤い靴」像(秋田公立美術工芸短期大学・皆川嘉博准教授作)

1885年末頃、アメリカからの宣教師達は秋田英和学校を設立。
この英和学校は、ミス・ハリソンが教え、川井運吉らが学ぶことになった学校である。

1886年にミス・ハリソンが婦人宣教師として秋田に赴任。
ハリソンは教会や学校の他、刑務所でも聖書を教えていた。
そこで、殺人罪を犯し無期懲役として服役していた金子ふじの子をハリソンが引き取って育てることとなった。
名前をハツとし、小学校に入学する時には、彼女の出生の秘密を隠すため、ハリソンはハツを教え子の川井運吉の子とするために入籍。
ハリソンがアメリカに帰国する際、ハツを連れて横浜から出発。
ハツは公立学校の教師になり、現地人や日本人移民の子どもたちの教育に当たった。
ところが無理がたたってハツは肺病に倒れ、多くの教え子に見守られながら三十四歳の生涯を終えた。

明治時代に貧しさと無知ゆえに、刑務所の中で“こぼれ落ちた”幼い命が、若い女性宣教師の手に拾われ、アメリカに渡って貧しい人たちのために自らの若い命を捧げたという感動的な秋田の女性の実話の物語。

宣教師達のエピソードは、渡辺喜恵子さんによって『タンタラスの虹』として小説化され、文学として今に生き続けている。

 

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