探検家 吉田勝次の足跡 レポート No.2 [中華人民共和国・四川省]

 
今回の探検記は中華人民共和国・四川省!
2008年に起きた四川大地震の震源地付近の山に
未踏の洞窟があるという情報が中国の友人より送られてきた。

日本から4,000Km…。
やってきたのはジャイアントパンダの生息地でもある
四川省の「映秀(Yingxiu)」という、少数民族チャン族の村だ。
そもそもその村との関わりは、四川大地震のときに友人の探検家が仲間たちと協力して、
現地で49の被災者を救助したことから始まったそうです。


さっそく探検のためのパッキングをするのは、良い友人となったこの村の村長の家です。
今回のアイテムはストリームトレイル 40Lのバックパックと防水バック(緊急時には、浮き袋としても使用できます。)

万が一、遭難して帰れなくなったときのためにできるだけ目立つように黄色を選んでいます。
ジャングルのブッシュの中を歩く場合のために、木の枝に引っかかりにくいよう余分なストラップなどは取り除いてあります。
バックルなどは、いざというときに強めに引っ張っても破損しないように一部強化しています。
バッグのサイズは探検のために必要な最低限の装備がすべて入るものです。

洞窟を探すために山に入るということは、通常の登山とは大きく違っています。
単純に山のピークを目指すのではなく、探しながら移動するので、
登ったり降りたり、崖や沢、水の中にまで入るときもあります。
装備はバランスを考えて動き回れる機動力を最優先にしなければなりません。
特に食料は最低限の量にとどめ、いざというときは現地調達することを基本としています。

パッキングを済ませ、いよいよ洞窟の入口があるという山に相棒の友人と2人で山に入っていきます。
村人の情報を元に山中を歩くのですが、絶対に洞窟の入口を見つけだせるという保証はないです。
山全体を「面」としたら、その中にある洞窟の入口は「点」でしかないので、
ちょっとした岩陰や登りにくい壁の途中などに、見落としがある可能性もあります。
それでもドキドキワクワクを抑えることはできません。

道なきブッシュをかき分けて進みますが、振り返ると道ができています。
山を登って暑くなってきても、着替えて薄着になることはできません。
ブッシュの中に長いとげ(長さ3cm以上)を持つ植物が生えているためです。
薄い服では、布を貫通して肌につき刺さります。
また、不注意に茎を手で握ったりすると、怪我を負って出血します。

痛い思いをしながらブッシュを歩くなか、振り返ると遙か後方には東経102.9度・北緯31.1度に
四姑娘山(スーグーニャンシャン)標高6,250mが見えます。

さあ、痛いジャングルを抜け、谷に出ました。

村人の情報は、この谷沿いのどこかに洞窟の入口があるというだけのアバウトなものでした。
ロープでキャニオニングしながら慎重に探します。

谷沿いはほとんど崩壊した岩でいっぱいになっていました。
12月の四川省で、標高2000m以上となるとかなり寒く、もちろん氷点下…。
探査が長引いても、ビバークするには厳しい環境です。

残念なことに今回は3日間の調査でも洞窟の入口を見つけることは叶いませんでした。
地震の影響で、崩壊して近づけない場所もあったので、課題は残りましたが、無事下山。
宿舎とさせてもらった友人宅に戻り風呂に浸かったとき、無事に帰ってきた安堵感と同時に、
お湯が傷に沁みるのと、軽い打撲による痛みも感じます。
一番!生きていることを実感する瞬間かもしれません…。

探検とは生きて帰ることが大前提ですが、必ず約束されるものではないことも事実です。
「探検」の定義は、「未知の地域へ赴いてそこを調べ、何かを探し出したり明らかにする行為」
さらにそれを報告する義務もあります。
それは、無事に生きて帰ってこそ成立するものです。

下山した最終日、ちょうどその村のお祭りに参加することができました。
村中、どこの道でも村民が一丸となってお祭りの準備をしていました。

夜になると、気温は氷点下に近づきどんどん下がっていきますが、
少数民族の踊りや歌は止まらず次から次へと続きます。

提供される食べ物はダイナミックな丸焼きばかりだ~!

最後は花火で締めくくり!!

今回は結局、洞窟の入口にはたどり着けなかったのですが、振り返ってみると有意義な探検でした。
当たり前かもしれませんが、探検は一人では成立しません。
特に外国に行って何かをすることはとても大変なことです。
たくさんの人の「思いやりの繋がり」がだんだん1つの力になって道のようになります。
その道の先に凄いモノを見つけたとき!探検家をやめられなくなります♪